
社会福祉法人 河田母子厚生会

社会福祉法人 河田母子厚生会
社会福祉法人 河田母子厚生会の事業
かわだは、お母さんとお子さんが一緒に入居できる児童福祉施設です。
わたしたちスタッフは、お母さんとお子さんがそれぞれの力を発揮し、自分らしく生きていくことができるようお手伝いします。
ごあいさつ

社会福祉法人
河田母子厚生会
会長 河田惠量
新年を迎え様には益々ご健勝にてお過ごしのことと拝察し、お慶びを申し上げます。
社会福祉法人河田母子厚生会ホームページ開設にあたり、法人歴のご案内と併せご挨拶とさせて戴きます。
昭和17年(1942年)創立の社会福祉法人河田母子厚生会は、母と子の生活支援・福祉を目指して84年になります。創立者河田清貞は53歳で生涯を閉じましたが、その遺志は夫人である河田美津枝に引き継がれ、以降私及び娘夫婦により継続を図る状況にあります。
大東亜戦争(第二次世界大戦)末期の敗戦色濃いなか、戦争末亡人及びその子女の救済が急務でありました。薬粧品会社「スチルマンフレックル」を経営、成功を収めた社長河田清貞は、私財にて財団法人河田母子厚生会を設立、麻布町に戦争末亡人の自立支援を行なう授産所と託児所を建設し、慈善(福祉)事業を開始しました。軍部にも大きく理解を受けておりましたが、昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲にて、日比谷の会社事務所・麻布工場・法人本部・授産所・託児所などの全てが灰塩に帰してしまいましたが、現在地に拠点を移し事業を再開致しました。間もなく終戦・衣食住全てが乏しいなか、東京に留まった会長は東京・茨城・山梨に美容と洋裁の学校=授産所を設立し、満州などからの引き上げ者や焼け出されて住居の無い方々の救済を目指し、母子寮と保育所を開設しました。
この頃、NHK朝のドラマ「あぐり」のヒロイン「吉行あぐり」さんが、美容の先生として在籍し、施設に一家で住んでいました。会長は薬雑品会社を再開し、日本経済復興の担い手として期待されたのですが、昭和27年5月山梨県富士吉田にて帰らぬ人となりました。会長の遺志を継いだ夫人河田美津枝は二代目理事長に就任、昭和27年社会福祉法人に改組、増改築を繰り返しつつ昭和45年に現在の建物(保育園と施設)を建設しました。河田美津枝理事長も昭和62年72歳で鬼籍に入りましたが、今日河田千賀子が理事長を努めております。
「子ども家庭支援センター」「子育て情報ひろば」等の運営を行いつつ、事業の基本となる母子生活支援施設への耐震補強及び大規模改修は、次世代への覚悟を示すメッセージでありました。時と共に福祉事業も細分化され「利用者支援・退所者支援・母子一体型ショートケア事業等」の他、地域支援事業として「地域のひとり親家庭向けの事業やママ向け相談室」を世田谷区のご支援ご協力のもと運営する今日であります。様々に社会の変転する中、このように法人と施設は共に80有余年の歴史を刻むことができたのは、一重に各界皆様のご支援ご指導ご協力あってのことであり深く感謝申しあげる次第です。
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